大正7年12月の横浜線停車場平面図

 

 海神奈川・高島方面分岐地点

 

 

 

 

”戦場にかける橋”ならぬ 「横浜線に架かる橋」

 

十六夜月智次郎様ご投稿(2006.12.23受付)

 

※画像をクリックすると拡大します。

画像@(撮影地点地図上の@)

画像A(撮影地点地図上のA)

画像B(撮影地点地図上のB)

いつも楽しくHP拝見させていただいております。

十六夜月智次郎です。

 

皆様は添付画像の鉄橋はご存知でしょうか。

場所は東高島駅のすぐ近く。

この地区の貨物線を扱った多くのHPでは

「どこかの工場への引込み線」と案内されていることがほとんどです。

しかし鉄道ピクトリアル2002年3月号「特集 鉄道と港―臨港線回顧」の記事によると東神奈川―東高島の貨物線の鉄橋となっております。

(※実際には「どこかの工場への引込み線」でも間違えではありません。配線図をご覧いただければわかるように松下工場につながっていました。)

鶴見に向かって、東高島構内のはずれから大きく左にそれた線路は京急仲木戸駅の下をくぐって東神奈川の構内で横浜線につながっていたのは皆様もご存知のことと思います。

 (地図上の点線)

私も横浜駅で学生アルバイトをしていた際に助役さんから

「昔はハマ線にD51の貨物が走っていて俺はその列車係

(車掌)をやっていたんだ。

高島を出た列車は、今では考えられないけど第一京浜(国道15号線)を横切って仲木戸の下をくぐって東神奈川の構内に入っていったんだ。」と聞いたことがあります。

 

しかしその鉄橋が残っていたとは...

戦場にかける橋ならぬ「横浜線に架かる橋」のレポートでした。

 


東神奈川停車場 −海神奈川・高島方面分岐地点−海神奈川停車場・信号所

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