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右側の白い建物が旧・野蒜駅舎

すでに撤去されていましたが鉄道用保線機械(マルチプルタイタンパー及び道床整理車の2両)も
この野蒜駅構内にて浸水し使用不可能となった。

1996年(平成8年)4月2階建ての新駅舎と奥松島観光情報センターとが併設オープン
2011年3月11日 被災し営業停止となった。
「奥松島観光情報センター」は改修され「野蒜地域交流センター」となり
ファミリーマートが2014年5月に開店した。
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東松島市は、このプラットホームを震災遺構として保存する方針を決めた。 |

画面上方の▲と線が津波が襲った高さ(3.7メートル)
震災当時、数人の乗客がいて駅員の誘導により2階に避難し、
さらにベランダに机を重ねて屋根に避難したそうです。
因みに、駅舎前には、運河があり、津波の勢いが減少したそうです。
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野蒜地域交流センター内に展示されていた写真を仙石線に関するもののみを呈示します。
【野蒜地域交流センターの方の了解済み】
震災当日午後2時46分、上り列車(仙台行き)と下り列車(石巻行き)は
野蒜駅から出発してすぐ緊急地震速報が鳴り出し車両が揺れ緊急停止した。
上り列車は野蒜駅から700メールの地点(野蒜駅・東名駅間)に停車し、300メートル離れた野蒜小学校体育館に避難。
津波は線路上の列車も押し流し車内は1メートル以上浸水し、
避難した小学校の1階(3メートルの高さ)まで津波が押し寄せ体育館も冠水したそうです。
被災した体育館は取り壊されたそうです。

野蒜駅 - 東名駅間 205系M9編成(元 山手線車両)は、ここで解体され廃車され撤去されています。
一方、下り列車は野蒜駅から600メールの地点に脱線して緊急停止したが、十数メールの高台で
地元に住む乗客が「とどまった方が安全だ」と乗務員に助言し
最も高い位置にある3両目で待機することになった。
幸い津波の襲来は免れたが、濁流にのまれる建物や車が窓越しに見えた。

東名駅では右下の写真の通り線路が大きくねじ曲げられて津波の凄まじさが分かります。
米軍のトモダチ作戦で線路は撤去され、現在は更地になっているそうです。

野蒜地域交流センターの方が、写真の説明を笑顔でして頂きましたが
逆に、こちらが涙を我慢するのが大変でした。
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