JR横浜線の昔 _

 

仙石線方面

 

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 JR横浜線の昔

 

 OLD TIMES OF 

   JR YOKOHAMA LINE

 

 

3.11を忘れない

仙石線 野蒜駅・石巻駅

東日本大震災から5年 〜復興〜


2016年6月11日

 


 


仙 石 線

あおば通・仙台〜石巻を結ぶ49Km・31駅で
あおば通〜東塩釜間は複線・東塩釜〜石巻間は単線
の路線である。

JR東日本が保有する営業路線の中では東北地方唯一、JRグループでは日本最北の1500V直流電化路線である。

それ故に、過去の車両には
横浜線と同じ72系・103系が走行し
現在は205系3100番台とHB-E210系(ディーゼルハイブリッド車両)の2車種が走行しています。
M1〜M18編成:山手線・埼京線からの転入車・M19編成:南武線からの転入車です。

東日本大震災による津波で仙石線野蒜駅 - 東名駅間を走行していたM9編が流され脱線しています。
陸前大塚駅-陸前小野駅間の高台移転による新ルートが完成し2015年5月30日から全線運行が再開されました。

そこで今回3.11を忘れないためにも5年経過した2016年6月11日に
野蒜駅と石巻駅(宮城県東松島市・石巻市)を訪れました。

JR横浜線の昔@の趣旨とは少し外れるかもしれませんが、復興状況等を報告致します。

まずは、仙台駅よりスタート
 仙   台
 

仙台12時17分発 仙石東北ライン経由快速石巻駅行き

当然、見るのも乗るのも初めての経験
 東北本線
   塩      釜
 東北本線
 仙石線    東北本線
 高城町
 松島
 
   
 
客席の車内モニタに、現在の様子が表示されていました。
 
陸 前 大 塚  
 
東     名  
 
野    蒜(NOBIRU)
12時55分着
 
快速石巻駅行きの到着をまって205系の仙台・あおば通行きが発車


画面中央の白い建物が旧 野蒜駅
 
   旧 野  蒜  駅   







右側の白い建物が旧・野蒜駅舎


すでに撤去されていましたが鉄道用保線機械(マルチプルタイタンパー及び道床整理車の2両)も
この野蒜駅構内にて浸水し使用不可能となった。



1996年(平成8年)4月2階建ての新駅舎と奥松島観光情報センターとが併設オープン
2011年3月11日 被災し営業停止となった。

「奥松島観光情報センター」は改修され「野蒜地域交流センター」となり
ファミリーマートが2014年5月に開店した。
 
 東松島市は、このプラットホームを震災遺構として保存する方針を決めた。
 
画面上方のが津波が襲った高さ(3.7メートル)

震災当時、数人の乗客がいて駅員の誘導により2階に避難し、
さらにベランダに机を重ねて屋根に避難したそうです。

因みに、駅舎前には、運河があり、津波の勢いが減少したそうです。


 野蒜地域交流センター内に展示されていた写真を仙石線に関するもののみを呈示します。
【野蒜地域交流センターの方の了解済み】

震災当日午後2時46分、上り列車(仙台行き)と下り列車(石巻行き)は
野蒜駅から出発してすぐ緊急地震速報が鳴り出し車両が揺れ緊急停止した。

上り列車は野蒜駅から700メールの地点(野蒜駅・東名駅間)に停車し、300メートル離れた野蒜小学校体育館に避難。
津波は線路上の列車も押し流し車内は1メートル以上浸水し、
避難した小学校の1階(3メートルの高さ)まで津波が押し寄せ体育館も冠水したそうです。
被災した体育館は取り壊されたそうです。

野蒜駅 - 東名駅間 205系M9編成(元 山手線車両)は、ここで解体され廃車され撤去されています。


一方、下り列車は野蒜駅から600メールの地点に脱線して緊急停止したが、十数メールの高台で
地元に住む乗客が「とどまった方が安全だ」と乗務員に助言し
最も高い位置にある3両目で待機することになった。

幸い津波の襲来は免れたが、濁流にのまれる建物や車が窓越しに見えた。


東名駅では右下の写真の通り線路が大きくねじ曲げられて津波の凄まじさが分かります。
米軍のトモダチ作戦で線路は撤去され、現在は更地になっているそうです。



野蒜地域交流センターの方が、写真の説明を笑顔でして頂きましたが
逆に、こちらが涙を我慢するのが大変でした。


高台中央に見える茶色の建物が、現在の野蒜駅 

 
 野    蒜



 
野蒜 14時22分発各駅停車石巻行き
 
陸 前 小 野 
 
石      巻
14時46分着
 
 
 
 日和山公園

案内図@より撮影

▲マウスオーバーさせると震災前の画像をご覧になれます。

案内図@より撮影

中央の建設中の建物は復興住宅です。

案内図@より撮影

▲マウスオーバーさせると震災前の画像をご覧になれます。

案内図Aより撮影

▲マウスオーバーさせると震災前の画像をご覧になれます。

案内図Aより撮影

▲マウスオーバーさせると震災前の画像をご覧になれます。

案内図Aより撮影




案内図Bより撮影

画面中央の白い丸っこい建物が石ノ森萬画館
旧北上川の河口に近い中洲にあります。

この後に訪ねてみました。

 
石ノ森萬画館 

石巻駅構内 
 
石ノ森萬画館外壁
   

2001年7月開館

東日本大震災(2011年3月11日)で

津波が襲い、1階部分の天井付近(6.5メートル)まで浸水し休館となる。

その後、2012年11月再開館。

 
 
お土産のキャンディ
 
 
 


石巻駅は、この高さまで津波が来て到着後の205系M7編成が冠水して被災し廃車となっています。

MANGATTAN LINER 
Series205
 
 











がんばろう! 石巻

 

石巻16時54分発仙石東北ライン経由快速仙台行き
石        巻  
 
 
仙         台
17時49分着


 


 今回、常々より訪ねてみたいと思っていた被災地にやっと足を運ぶ事が出来ました。
沿線からみる風景や被災地からみた風景は復興にはまだまだ先という印象でしたが、
ただ皆様明るく頑張っていました。

訪れた範囲内では、津波によるがれき等は残されていませんでしたが
仙石線の海沿いには真新しい堤防等が目につきました。
また機会があれば、訪ねてみたいと思います。

本ページをご覧になった方の中から1人でも多くの方々が被災地を訪れることを望みます。

  3.11を忘れない

末筆ではございますが
あの尋常ではない揺れ、そして津波等を語ってくれた方々にお礼申し上げ、

震災で亡くなられた方々のご冥福をお祈りし、被災者の方々にお見舞い申し上げます

最後まで、ご覧頂きありがとうございました。



いいよね♪私の仙石線&横浜線

 
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