これは横浜線を支えてきたレール達の物語である。
プロジェクトYokohama line
♪風の中のすばる〜 砂の中の銀河ーみんな何処へ行った 見送られることもなく 草原のペガサス街角のヴィーナス みんな何処へ行った
見守られることもなく 地上にある星を誰も覚えていない 人は空ばかり見てるつばめよ 高い空から教えてよ
地上の星をつばめよ 地上の星は今 何処にあるのだろう♪
明治39(1906)年6月 八王子・東神奈川間で工事が着手された。
同年、アメリカの 製鋼会社カーネギー社に横浜鉄道会社よりレールが発注された。
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1906年8月 横浜鉄道用のレールが製造された。
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1本のレールが横浜港に届いた。
そのレールには横浜鉄道会社のイニシャル”YTK”の文字が刻印されていた。
男達は、そのレールを見て喜んだ。
「これで横浜鉄道を造れる」と。
そのレールが東神奈川から八王子まで繋がり 明治41年8月 完成した。
総工費 235万4661円だった。
明治41年9月23日に開通した。
1番列車が通過し、沿線の住民はもちろん、
横浜鉄道の全スタッフも大喜びだった。
・
やがて開通当時使用されていたレールも磨耗し
レールとしてのお役目を終了する時期が来た。
新しいレールと交換された。
そして古いレールは用済みとなった。
*
しかし、あるものは駅の跨線橋の柱に、
あるものはホーム上屋の柱として再利用された。
・
時代は昭和・平成と移り変わり横浜線にも橋上駅舎化の波が来て
古い構造物がどんどん取り壊されていった。
それでも、生き残った柱いや古レール達がいた。
それは
中山駅上りホーム上屋の古れーる
だった。
そのレール達は中山駅で、ホーム上屋の柱として再利用され
余生をひっそり暮らしていた。
昭和58年 橋上駅舎化工事の際 大半の仲間達は撤去されてしまった。
32本だけ幸いにも身命拾いしたレールがあった。
今回は、この32本のレールが主役である。
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100年の月日は決して短くなかった。
その刻印をはっきり読み取れないレールもあった。
『そのレール達は、いったい私達に何を語ってくれるのだろうか?』
彼らは、ホームの上家の柱として
3番線側に8本(古レール16本)
2番線側に8本(古レール16本)
中山駅上りホーム東神奈川寄りで存在していた。
柱番号:上りホームの東神奈川寄りから上家の古レールを使用した柱に 上1・上2 ・・・と柱番号を付けた。(〜上8まで)
同じく2番ホーム(中線)の東神奈川寄りから 中1・中2 ・・・・と柱番号を付けた。(〜中8まで)
では実際に刻印について解説しましょう
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柱No |
刻印の内容 |
解 説 |
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中6 |
Y T K 6 0 A |
YTK:横浜鉄道会社が発注したことを示しています。 60:重さ(ポンド)/ヤード :30Kg A:断面形状(ASCEの略など) |
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中1 |
C A R N E G I E 1906 ET IIIIIIII |
アメリカの 製鋼会社カーネギー (CARNEGIEl)社製 1906年製造(明治39年) ※明治39年6月 工事着手(八王子・東神奈川間) ※明治41年9月 開通
ET:カーネギースチールの前身の「エドガー・トムソン工場」製 IIIIIIII:製造月:8月(I が8本で8月を示す) |
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中1 |
C A R N E G I E |
アメリカの 製鋼会社カーネギー (CARNEGIEl)社製 |
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3
0
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30:重さ(Kg)/ヤード ![]() 製造年 19?0年 I:製造月:1月 OH:Open Hearth(平炉)の略で 製造法が平炉製鋼法であることを示しています。 |
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中5 |
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![]() レールを示すマークです。
60:重さ(ポンド)/ヤード :30Kg
A:断面形状(ASCEの略など)
1925:1925年製造(製造月なし):大正14年 |
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3 0
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30:重さ(Kg) ![]() 製造年 19?0年 I:製造月:1月 |
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上3 |
3 0 A |
30:重さ(Kg) ![]() 製造年 皇紀2606年(西暦1946年:昭和21年) IIII:4月製造 OH:O.H:製造法が平炉製鋼法である |
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上4 |
? ? S C O S T E E I T O N I I I I I I I I I |
1 9 2 3 O . H . I . G . R . |
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アメリカB.S.CO. STEELTON(ベスレヘム製鉄会社スチールトン)社製 9月製造
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1923年製造(大正12年) O.H:製造法が平炉製鋼法である I.G.R:鉄道省が発注したことを示す |
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60-A S B S.CO STEELTON IIIIIIIIII. 1923 O. H I G R |
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上4 |
I I G R PROVIDENCE R △ 60 LBS ASC???1926← |
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ベルギー PROVIDENCE(プロビデンス社)社製
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IGR:発注者が鉄道省 PROVIDENCE:製造社名 R: △:プロビデンス社のマーク 60 LBS:1ヤード当りの重量(ポンド) ASCE規格
1926年製造 ←: |
※画像は全て垂直柱と使用されているもので、90度回転して掲載しました。
■撮影 2004.02.15/2004.05.10
次に32本のレールについて刻印例を示します。
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アメリカの 製鋼会社カーネギー (CARNEGIEl)社製 |
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アメリカB.S.CO. STEELTON(ベスレヘム製鉄会社スチールトン)社製 |
八幡製鉄所製 |
ベルギー PROVIDENCE(プロビデンス社)社製 |
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柱No |
上段:線路側/下段:中央側 |
柱No |
上段:線路側/下段:中央側 |
上1 |
■CARNEGIE 1906 ET IIIIIIII |
中1 |
■CARNEGIE 1906 ET IIIIIIII I I YTK 60 A |
解析不能 |
解析不能 |
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上2 |
解析不能 |
中2 |
■ |
■ |
■CARNEGIE 1906 ET IIIIIIII I I YTK 60 A |
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上3 |
■ |
中3 |
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■30 A |
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上4 |
■60-A S B S.CO STEELTON IIIIIIIIII. 1923 O. H I G R |
中4 |
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■ I IGR PROVIDENCE R △ 60LBS ASC??1926← |
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上5 |
■CARNEGIE 1906 ET IIIIIIII YTK 60 A |
中5 |
■ |
■60-A S B S.CO STEELTON IIIIIIIIII. 1923 O. H I G R |
■ |
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上6 |
30 A ? 1940 |
中6 |
■30 |
解析不能 |
■CARNEGIE 1906 ET IIIIIIII |
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上7 |
■ |
中7 |
■CARNEGIE 1906 ET IIIIIIII |
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■ |
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上8 |
解析不能 |
中8 |
■ |
■30 |
■ |
※これら全てが横浜線の線路として使用されたものかは不明ですが、
但し■CARNEGIE社製のものは横浜線の線路として使用されたものに間違いないと思われます。
今現在、横浜線に残っていて製造年が確認できる最古ものは、
このCARNEGIE社製のレールに違いない。
1906年・明治39年製造で開通の2年前のものであった。
* * *
各地でだんだん色々古いものが消えてしまっている。
悲しいことだった
今回このレールについて特集でき記録として残せた事は非常にラッキーだった。
しかし刻印が不鮮明で解析できなかったレールもあった。
非常に残念だった。
♪語り継ぐ人もなく 吹きすさぶ風の中へ 紛れ散らばる星の名は 忘れられても
ヘッドライト・テールライト 旅はまだ終わらない ヘッドライト・テールライト 旅はまだ終わらない♪
* * *
今年(2004年)8月で、このレールも98歳の誕生日を迎える。
これからも横浜線の歴史を見守っていくことだろう。
※今回の調査はホーム上家の支柱のみを対象としました。
末筆ではございますが、情報を提供して下さったハラ様に感謝いたします。
第2回 「横浜線を支えてきたレール達」
プロジェクトYokohama line
終
制作 ・ 著作
「JR横浜線の昔」
第1回 「横浜線の感動の103系を追え」 〜混色の物語〜
横 浜 線 .
YOKOHAMA−LINE