久里浜2

1974年秋 

 

武藤少年は友達と 久里浜駅の引上線がどこまであるかを見に行った。

 

そこで少年達が目にしたものは、

数ヶ月前まで横浜線で走行していた旧型電車だった。

 

久里浜に散った旧型国電 2

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ジャンパ連結器

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少年達は

シャッタ−を押した。

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武藤謙二様ご投稿   2006.08.20

 どれも寂しさを感ずる写真。

それも、そのはず、この後1mmたり走行することなく解体されたのでした。

 

思い出の車両達との悲しい再会

 

久里浜に散った旧型国電

103系投入の影にはこんなことがあったのです。

昭和49年(1974)6月の第一次103系投入開始により、それまでの旧型国電72・73型は
当然ながら余剰となり、
横浜線から他線へ捻出されることになりました。
当時はまだ、各地で旧型電車が幅を利かせており、状態の悪いものは廃車となりましたが、
まだまだ状態の良いものは他線へ転用・・・・というのが一連のパターンでした。
(昭和32年製の900代は、当時車齢まだ17年!・・・現在、最古参の103系は車齢37!!年です!)

この中で、東神奈川区を追われた旧型車のうち、
転出先が決まっていた32両が、その旅立ちまでの間
横須賀線の久里浜へ疎開留置されました。

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ところがです、同年7月7日七夕の夜、関東地方を襲った台風8号は思いもよらない事態を招いたのです。
このあたりを中心に集中豪雨となり、一晩にして留置車両全車が冠水してしまったのです。

結果は・・・修復不能=全車廃車となってしまったわけです。

結局、この車両達は1ミリも動くことなく、約1年間放置され、
その場で解体されたのです。

当時、中学生だった私にとってこの事件は非常にショッキングなものでした。

画像は翌50年の6月に久里浜を訪れたときのものです。
約1年が経過し、ほとんどスクラップ状態でしたが、
思い出の車両達との悲しい再会を果たしました。

■久里浜に散った旧型車・・・32両

クモハ73 : 126.175.223.267.373.401
モハ72   : 063.106.571.662.678.699.938.939.940.943.947.949.950
クハ79   : 114.116.315.331.355.384.386.470.472.941.944.
946
サハ78   : 138


■撮影日:1975年6月29日
参考文献:鉄道ファン誌 No.168 在来線電車の動き

「隠れハマ線ファン」様 ご投稿  (平成13年11月20日投稿)

 

 


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