横浜線を最初に走った115系

 

115系と73系

115-1.JPG

■撮影 橋本 電留線 1975年2月8日

115系

115-2.JPG

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「隠れハマ線ファン」様からの投稿コメント

 

『横浜線を最初に走った115系!』

 

横浜線に近郊型電車が走った・・・などというハナシはその当時、聞いた事がなかった。

しかし、実は”回送”で入線した事があるのです。

この件については当時の鉄道雑誌等にも一切触れられなかったので、ここで御紹介いたします。

 

最初で最後の近郊型入線は1975年(昭50)2月のこと、

三鷹電車区の115系8両編成が八王子―橋本間に、回送で一往複運転されました。

しかも、しかもです、この編成はスカ色ではなく、何と湘南色

 

2月の始め頃から10日間くらい、橋本の電留線に留置されていました。(詳細日不明)

この車両は中央線用115系300番代の最初の新製車で、同年1月30日に日車豊川工場で落成し、

公式試運転終了後にそのまま橋本にやってきたものと思われます。

ではなぜに湘南色であったのか・・・。理由は今もってわかりません。

一時的に東北・高崎線にでも使うつもりだったのでしょうか?

(・・・当時の国鉄が貸出しで、わざわざ路線カラーに変更するとは思えませんが)

しかしその後、すぐにスカ色に塗り替えられ、予定通り中央線で運用されたことは事実なのです。

推測ですが、塗装変更入場待ちで、空きのあった橋本に留置先を求めたのでしょう。新車なのに・・・・。

 

撮影日は1975年2月8日、画像は橋本の電留線に留置されている115系のものです。

モノクロですが、塗り分けからはっきりと湘南色であることがおわかりだと思います。

隣には72系旧型付属編成(先頭は73121)も並んでいます。

 

 

留置編成

[←八王子]  クハ115−350+モハ114−330+クモハ115−302+サハ115−307

+サハ115−306+クハ115−348+モハ114−329+クモハ115−301(西ミツ)

 

「隠れハマ線ファン」様からの投稿コメント(2005.1.9更新)

 

 

■1975年橋本に現れた115系

この年突如として橋本に現れた“西ミツ湘南色の115系”ですが、やはり誤塗装だったようです。

メーカー出場から橋本入庫、そしてメーカー再入場までは下記の内容だったようです。

◇1月30日

日本車両豊川工場出場

豊川ー品川ー新宿ー八王子ー橋本の経路で回送

◇2月15日

逆ルートで豊川回送、日車再入場

◇2月28日

スカ色変更後日車再出場・・・・

(この時も一旦橋本へ入庫したというウワサがありますが定かではありません)

 

このように生産メーカーに戻し、再塗装を行ったということは

“間違って湘南色・・・”ということで間違いないでしょう。

発注側のミスであれば自社工場で再塗装すればよいだけですから。

 

ワンポイントメモ

 昭和47年に103系(4両)が導入され、50年には全15編成中103系は10編成でした。しかし複線化は東神奈川・小机間のみで朝晩のラッシュはそれはもう大変なものでした。

昭和50年頃の横浜線の歴史・列車ダイヤ

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